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“天上の学”・“地上の学” それとコミュニケートする“人の知恵”

社会に出て、サラリーマンの時代から今に至るまで、ずっと「コミュニケーション」の仕事をしています。コミュニケーション屋さんというのはないし、職種にもそんなものはないから、なにそれ?と思われる向きも多いでしょう。コミュニケーションの仕事とは何か、というと、何かを伝えることを中心に据えて、その方法を真剣に考えることです。今自分がやっているさまざまなことや、これまでやってきたことを束ねてみると、その言葉に尽きるので、あえてここに書いてみました。例えば会社員として携わった宣伝の仕事もそうだし、大学で教えることも、バッチフラワーのコンサルテーションやアロマのトリートメントもそう、ということです。

 さて、昨今は、コミュニケーションの方法が新しいテクノロジーのおかげで便利になる一方で、伝える能力が育たず稚拙なままにコミュニケーションして、心の行き違いから繋がりを断ち切ってしまうことも少なくないのではないかと感じ、便利なことも考えものだと思っています。

 コミュニケーションは、1対1、1対多、多対多、様々な場面で発生します。狭義には言葉を介したものをコミュニケーションと呼ぶかもしれませんが、実際には、非言語で伝わる情報の多さを考えると、もっと広くとらえたほうが、生きる上で楽になるのではないでしょうか。それは、ひととひとだけでなく、ひとと動物、ひとと植物、という関係性にも存在するし、もっと広く見れば、動物と植物とか、ひとと宇宙、はたまた宇宙と花、などということも存在しているのですから。

 次に自分の仕事をもう少し狭くとらえてみると、「マーケティング・コミュニケーション」というものに携わっています。この話に至ると、自然に関わる仕事をされている方たちからはさすがに遠い、なんのこと?となってしまうかもしれません。でもマーケットという場を「複数の人がいる場」、つまりひとりっきりの閉じた空間ではなく、「なんらかの関係性が生じる場」と捉えると、そこにおけるコミュニケーションなだけですから、先に挙げた「1対多」のコミュニケーションとなんら変わることはありません。つまり、商品と自分、でも、野に咲く花と自分、でも、「私」という「個」を真ん中に置いて考える限り、常に対話が生じる、ということなのではないでしょうか。

 ルドルフ・シュタイナーの語る「人智学/アントロポゾフィー」では、天上の学「神智学/テオゾフィー」と地上の学を繋ぐもの、で、人間そのものを扱う学だそうです。天上の学というと、神智学だけでなく、「天文学」「幾何学」「音楽」などがあります。つまりその学の目的は、宇宙の神秘を知ることですね。では地上の学、とはなにか。「経済学」、「人類学」などが入るそうです。マーケティング、経営学ももちろんこちら。つまり、人間が作ったものを人間がよくよく吟味して考えることが地上の学の目的です。地上のものだからといって、不純なものだとか取るに足らないもの、ということではない、ここも学び続けないと、ということが、天上の学とのつながりを理解することによってようやく腑に落ちました。

 しかしながら、最も大事なのは、「人間というもの」を知り、さらに「私」「自分」自らの内面をしっかり捉えてこそ、すべての学びが意味をもつ、ということ。コミュニケーションを「つながり」と考えたら、どうでしょうか。どこで起こるコミュニケーションでも、誰との間のコミュニケーションでも、すべて大事な情報であり財産です。コミュニケーションの軽視は、自分と他とのつながりの断絶であり、自分自身をないがしろにすることに他ならないなのではないか、と思います。

 万物とのつながりを感じ、森羅万象と穏やかにコミュニケーションをしてこそ、“生”が全うできるのでしょう。そしてそのコミュニケーションのための言語を、私はこのウィル研のワードカフェやブログの発信で、さらに研ぎ澄ましていきたいと考えています。

英国バッチセンター バッチ博士の居室


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