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ウィル研主催で行ったイベントの報告のコーナーです。

8/28/2015 開催 第一回ワードカフェ「Wild」 

※ウィル研発足のお披露目会でもありました。

 

 8月28日に、トトラボの「ミッドサマ―マルシェ」にて、ウィル研のお披露目を兼ねて、「野性」「野生」について、考える時間「ワードカフェ」を行いました。 

 

ウィル研発足の背景や参加メンバーの思いなどは、HPでご覧いただければと思いますが、この会の冒頭でも村上から少しご紹介をさせていただきました。

 

このウィル研の構想のもとは、5年前、メンバー村上と亀山の会話の中で、「現代人は、考えすぎて疲れているって言うけど、本当に考えているの?」とか、「感性が重要って言っているが、じゃあ、そもそも知性や理性を使っているの?」という疑問から、そんな疑問を「野性企画」で解消していこう、と約したことから始まりました。それがようやく昨年末くらいからようやく動き出し、その後メンバー間で様々な課題やキーワードを出し合い、6月の設立に至りました。 

 

今回は、ウィル研の『W』、”Wild Intelligence "に冠している”ワイルド”、”野性”について語る時間、ワードカフェです。少しでも冒頭の疑問に近づけるだろうか?と実験的な取り組みですが、どうかおつきあいを。 まずはファシリテーターとして皮切りに京ヶ島が問題提起をしました。

 

京ヶ島は生まれ育ちは土と無縁。今アロマや自然療法の仕事をしているというのは、自分でも不思議です。 

 

ゲーリー・スナイダー「野性の実践」には、野性という言葉が辞典の上では否定的に扱われている例が挙げられている。広辞苑をひも解いても、野性というと、荒れている、手が加えられていない、野蛮なというイメージで使われるが、スナイダーは例えば「動物=自由に好意するもの」「個人=基準と無関係、堂々として自信に溢れている」と示していて、非常に共感できる。

 

一方で、自然療法に携わる私たちは、自然はすばらしく守るべきもの、というが、例えば3.11の自然は私たちの生活を相当に蹂躙した。自然の力というものは、恐ろしい部分も持っているので、本来はやはり否定も肯定でもする存在ではない。

 

逆に、文明、現代社会というものが私たちの健康やメンタルに悪い影響を及ぼすという考えもあるが、自然に毀損されないために便利や安全を追求するために文明や科学があるとも言える。 

 

つまり、私たちを取り巻くものは、ポジティブな面もあればネガティブな面も同時に持ち合わせているのだろう。 自分が携わるバッチフラワーレメディを作ったバッチ博士のことばに、「『悪』は場違いなところに置かれた『善』」という言葉がある。物事は常に両面をもち、そのどちらにも目を向けることで、一方的にうち消したり、ないものにしようとするのでなく、良い面を理解しよういうこと。

 

なので、野性にも自然にも両面があるのだと思うが、それだけでなく、私たちが使う何気ないことばについて、ひとつだけでも深く考えてみるといろいろな気づきがあると思う。

 

野性も正しく理解してうまく使えるようになったらいいな。  

 

 

次に、普段は歌ったり、ピアノを弾いたり、作曲をしている、臼田美穂さん。

 

最近では、西洋の神話や古事記に興味を持ち、それを研究する中で、それらを題材にしたステージも作られています。 

 

私は日ごろ、音楽に携わっているので、やはり音楽の持つ力を感じている。音楽、というのは、目に見えないから、わかりにくいし、サイエンス、科学というものと結びつくことはそんなにない。だから、音楽の中にある、人間を喚起させえること、科学、スピリットの関係性に関心がある。

 

今興味を持って研究している西洋の神話や古事記などに出てくる神や出来事も象徴的なものなのだが、その象徴の向こう側 にある、人が考えている何か、自然の中の何か、を紐解こうと思うと、それは「律」というものなのではないか、と思い至る。「律」的なものは、太古の人間のワイルドに結びついている、とも言えるのではないかしら。

 

「『癒されたい』とか言ってんじゃねーよ!」(とは、ウィル研の”裏の合言葉”みたいなもの・・・です)と思うように、神話、音楽、アートというものも、単に「癒される」「心地いい」だけではない何かを持っていると思う。それが太古の人間が持っていた、野性であり、ワイルド、ウィルダネスに結びつく。

 

だから、ここで、「アート的感覚」とは、ほんとにリアルにどういうことなのか?をいろいろな分野の人と考えたい。アートを自己表現であり、それを表現する人も、受け止める人も、それによってスピリットが鼓舞されたり癒されたりする、と言ってしまうのは簡単なのだが、その向こう側に本当にあるもの、本当の意味での音楽やその「律」、「律性」が、「野性」に関係あるかな。  

 

 

亀山典子さんの子供の頃からの夢は、「動物として生きていきたい」ということ。元々自然が好きで、野性児のような感じ。まさにイメージ通りのワイルド! 東京の生まれだが、帯広畜産大学に入り、その後も大地を守るために流通の仕事に入ったが、しっくりこなかった。

 

でも、パーマカルチャーに出会い、それがフィットした。

新しいものを採りいれながら、循環する。今はまさに動物に近いところに住み、山、森林と共生している。ある意味、身近に感じるということは、裏腹で命の危険も感じる、ということ。そして自然を活かす、林業でいらなくなる枝葉を使った仕事だが、仕事、商売、としていくと、その商業的経済性に関する答えはなかなか見つからない。ごみになるようなものは作りたくない、正しい商品を作りたい、という思いでやっているが、それだけで行けるわけではないのが貨幣経済の中にあっての悩みだ。   

 

 

安珠さん(スカイプで音声のみ参加)は、東京で生まれて、その後東京で仕事をしてきましたが、アロマセラピーとの出会いから、自然との関わりを求めるようになりました。 香りがどうして人間に作用するのか、を考えたときに、そこにある自然に、自ずと興味が向いた。

 

自分がやりたくない事はやりたくないということ、そしてパーマカルチャーを実践したいと考えて、2009年に裏磐梯に移り住んだ。今は仕事としてボディワーカーとして人の体に触れたときにも自然を感じる。

 

その人らしさが醸し出される、という感覚なのだが、それが何かを知りたい。美穂さんがいう、「律」という言葉は興味深く、「香りの中の自然」、「人のからだの中の自然」、というのが、その「律」なのかもしれない。 そして野性というと、ここに暮らすことは、地球とつながっている感じを得たかったのだが、実際にそれは野性と混在する感じだ。ここには野生動物が周りにたくさんいる。

 

パーマカルチャーでは、自給自足を志向して、多年生植物を育てるが、このあたりの野生動物には格好の餌になって荒らされてしまうので、多年生ではだめだと言われた。食べ物を自然界からいただく、と言ってしまうのは簡単だが、食べるまでに野性と闘うことが、ここではまず課題だ。

 

人間だが、動物として自然界の中でどう生きるか?これに直面している。飼い猫のわさびは、野生化してほとんど帰ってこない(笑)。

 

 

そして、再度、村上志緒さん。 

 

もともと生き物に興味があり、生物の仕組みの研究を続けてきた。そうして動植物の振舞いを見ていると、人間がする事にはろくな事がない、自然に任せて何もしない方が良いのではないかと。人間が意図を持ってやることに対してネガティブに考えたこともある。

 

イエローストーンで見たネイティブアメリカンのハーブの使い方に、人間と植物の付き合い方を見た。 

 

人間の野性ってなんだろう、と考えるようになったきっかけは、フィジーのラケンバ島でトラディショナルヒーラーにボンボマッサージをしてもらうとき、何を持って行ったらよいか、と言って、獲物だったり、植物だったり、食べるものを届けて、物々交換が基本。ものの価値を誰もが同じように理解しているからそれが自然のやり方だった。

 

花のレイを作るのも、花を摘んで花束にして、木をなめしてリボンにする。

人間は何もないところから、これだけ美しくすてきなものを、なんでも生み出す事ができるんだということを知った。 

 

でも、日本でも、同じことを感じることができる場はあった。

下川で木を切った事。大きな木を切り倒したのだが、最後倒れてきたとき、どんな空を見て育ったのか?という思いがこみ上げた。だからこそ、この木は全部使わなきゃいけない、と。 

 

(亀山)

それでも使い切れない虚しさがある。実は10何%しか使えていないの。もともと、町の90%以上が森林だということもあるが。

 

野性ということでは、知床では、森に入る前に、危険なのでクマの怖い映像を見せられる。でも観光客が「クマに会えるんですか~?」と嬉しそうに言った。 今下川では、お墓参りに行ったお供えを、持ち帰らない人が増えたために、クマが出て、お墓参りに行けなくなってしまっている。それほど、自然との共生、野性との共生は、危険も伴う。でも一方で、東京は人が「気持ち悪い」。 

 

(京ヶ島)体温が伝わる距離で物理的に感じるはずなのに、都会では近くにいても体温を感じない。 

 

(亀山)北海道と羽田の行き来では、空港で一度リセットしないと、おかしくなるので、最近は意識して羽田で切り替えている。年と共にスイッチが弱くなってしまっているけれど。だからこそ現実的な「野性」というものをもっと考えて行かなければいけないと思う 

 

(臼田)不思議なのは東日本大震災のあと、人とひとは近くなった。助け合う、助け合える、という安心感があったように思う。でも確かに、今また都会にいると、近くにいるのにひとの体温を感じない。そして、例えば渋谷に行くと人が多いだけでなく、聞きたくない音が大音量で流れているのにいたたまれなくなる。だからその音を遮断するようになっている。でも、聞かないようにする、遮断すると、感覚のすべても遮断されてしまう。

 

(村上)生物の研究であるが、コオロギも、感覚を遮断して放置しておくと、鈍感になってセロトニンが下がる。その状態で一時それぞれに隔離しておいて、その後また一緒にすると喧嘩するようになる。触覚が科学センサーであって、それを遮断するとオスがオスに求愛し始めたりする。つまりは、感覚を遮断すると、その個体らしい生き方ができなくなっている、ということ。

体温が伝わるところという話があったけど、そうした野性を残して生活しているところには、「無駄がなく無理がない」。人が持つ野性をしっかり使っている、ということなのだと思う。 

 

……………………………(会場から)

 

Ⅰ東日本大震災、それは大きな体験、野性を目覚めさせる体験だった。でもそのおかげで、少なくともうそくさい自己イメージを必死に保とうとしていた自分から降りることができた。今は仕事も住まいも転々としているが、自分らしく生きたいと思い、うそのない自分がいる。 

 

Ⅱ中高校生のころ、なんで生きているんだろうと疑問をもった。食べられなくもなって、答えが見つからず、ある日諦めた。病院に行って、ベッドに寝込んだ時、プチって音が聞こえた。命の結び目の音、命とつながる体験。これは一瞬だけど、永遠の体験でした。命を体験した。それが答え。その時から「野性」は「生きること」そのものになった。それをベースに生きるようになった、野性とつながって、至福を感じて生きる。それを伝えることが自分の仕事だと思った。それを伝えるにはどうしたらいいか?と考えて植物を描くことを始めた。植物と自分が対面して、命を捉えてそれを空間に示していく。アートの本質はいのちを伝えることなんだと思う。自然の律、という話はよくわかる。日常を普通に生きることが人としての野性の自然なあり方なのかな。 

 

(安珠)職業的にはアロマセラピストなので、形を作る仕事ではない。なので、作りたかったので、家をリフォームしたり写真を撮ったりしている。それは、私のなかで、いのち、生きる根源を表現すること。言葉だと切り取るから伝わらない、「言葉」というとちょっと正しく伝わらないが。自分が感じる命、生きていること、すなわち”野性”はどうやったら伝わるかな?それが写真と繋がっているのではないかしら、と考えている。 

 

(会場から)吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行、奥駆。空海が拓いた道を通るが、危険な道もある、守るものがないから。しかし、母の胎内にいるようなもので、実は弘法大師様が作った道で、仏様に守られているその究極の安全の中で臨死体験をすることになる。これはまさに知恵のなかに仕組まれたもの、野性と言えるのではないか? 

 

村上)SR(確率共鳴)という概念がある。それは、簡単に言うと、微弱な信号をどう感知するか?ということなのだが、地球にどんな頻度で氷河期が来るのか?の研究から始まった。応用でいうと、例えば授業時間に、サブのタスクを与えると、メインタスクの達成度が高くなり、集中度は高まる。画像認識も、本当に認識したいものに、ノイズを入れると認識しやすくなるのだが、その原理。そこから、微弱な信号を、集団でいかに感じるかは、集団が集団として検知するのではなく、信号が来ると、一斉に細胞と細胞の間が開いてギャップジャンクションによって、ひとつに与えられたものも共有することで感知する。つまり横つながりで移動できるものはとても微細なものであり、それが生命の基本と言える。 

 

(京ヶ島)自然療法も、いくつかの療法が相乗効果を示す、というのは、人間が微弱なものを感覚的に受け入れて、それが共鳴し合うからなのでしょうか? 

 

(村上)イチョウバは、ギンコライドを持つが、それによってギャップジャンクションが調整される。比較的アダプトゲン的な役割をもち、適合性を高めるという研究成果がある。 

 

(会場)イチョウは、古い植物、原始生物。進化によっていろいろな機能が高まったように思うが、もともとあった機能が閉じていただけなのではないか? 

 

(安珠)今の話を聞いていて、エネルギー医学のことを思い出した。エネルギー的な側面から考えると、またいろいろ話ができるのではないかと思う。 

 

(京ヶ島)いろいろなキーワードも追加されてきましたが、今日のところはここまでということで、また次回お目にかかりましょう。ご意見や疑問も、メールやフェイスブックでお寄せくださいね。

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